代表佐々木ブログ

何でも初めから無理と思ったら、結果もそのようになります。
無理でも目的を立てて、どうしたら完遂できるか、
焦点を絞っていくことが大切です。(広岡浅子 実業家)


NHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」のヒロイン・広岡浅子。

明治の女傑と評価され、女性実業家のパイオニアとして

地位を確立したのは、ドラマで紹介されたとおりです。

小さな頃からお転婆で、女性が社会に進出できないことに疑問を抱き、

果敢にチャレンジしてきました。

何度も失敗したり、壁にぶち当たったりしながらも、

「七転八起」を超える不屈の精神力を表す

「九転十起(きゅうころびとおおき)」が座右の銘であり、

失敗することを恐れずに常に前向きに激動の時代を切り開いていきました。

女性が社会で活躍することはもとより、

「女性に学問(教育)は不要」とまで言われた時代に、

炭鉱経営、銀行設立、大同生命創業、日本女子大の設立など、

「無理」と思われる事業に次々と挑み、成功させた苦労は

並大抵ではなかったはず。これらの壮大な事業の成功の裏には、

目的を立てて「絶対に完遂する」との明確な意識を持ち、

ひとつひとつ達成していくことの大切さを説いています。

今の時代も変わらない、重みを持つ名言です。


成りあがり
先日、デスクの中を整理していたら、2冊のコミック本がでできた。
昭和55年11月20日に文庫本として発売された「矢沢永吉激論集 成りあがり How to be BIG」のコミック版である。
貧しい家庭で育った矢沢永吉がスターになるまでの階段を上がっていく成りあがりの人生を描かれた本で愛読本のひとつです。
矢沢永吉が3歳の時に母が家を出て、小学校2年で父が他界。あちこちの親戚に預けられ、そして祖母に引き取られ育ててもらったそうです。小学校の給食も教科書代も貧しい家庭だからと免除されてきたが、矢沢にとっては恥ずかしくて、悔しくて、屈辱的なことだったみたいです。

小学生が「誰よりも金持ちになってやる」とか「どうしたら腹いっぱいメシが食えるのか」そういうことを真剣に考える これ異常だよ えらい淋しいことじゃない・・・小学生の可愛い盛りの子供がそういうことを真剣に考える肌で考えなきゃいけない単にそいつの家族が貧乏だからって済ませちゃうんじゃあまりに差別だよ・・・これは矢沢本人の言葉です。

矢沢はお金を稼ぐために、小学生では新聞配達 中学生では牛乳配達 高校生では土方、船のシリンダー磨き、フィルム運び、工場の屋根のガラス磨きのアルバイトをしていたといわれています。
そんな苦しい時に矢沢がぐれなかったのは、恋人との出会い、そして音楽に出会ったからです。ビートルズが人気の時代で、音楽にのめり込んでいき、その時初めてプロになる気持ちが沸々湧いてきたそうです。

音楽に出会ってスーパースターになるという夢を決めてからは苦しいアルバイトも苦労じゃなくなり、絶対になってやると自分に言い聞かせていたそうです。広島から最終列車で上京し、最初は東京で降りるつもりだったが、予定を変更し横浜で下車し米軍基地のある横須賀へ行き、音楽活動を開始しました。
横須賀の地でも苦労の連続でしたが絶対にスーパースターになるという その思いの強さがありました。

いろいろな逆境を乗り越え、ついに矢沢永吉はスーパースターになりました。星を自分の手でつかみとりました。
人がなんと言おうと自分の夢は必ず叶うと信じていたから・・・と後に矢沢は語っています。

夢を持つことの大切さ、自分を信じる力、苦労から逃げず与えられた環境を乗り越えてチャレンジしてこそ次の道が開けてくる、そして人生を貫く仕事にたどり着くことができるかが人生で大切なことだと、この本で教えていただきました。

私は昔から熱狂的な矢沢ファンで、実は私がまだ20代の頃、矢沢永吉本人と握手をしたこともあります。手が大きくて、背が高く、かっこよかったです。何日も手を洗わなかったくらい興奮していたのを今でも憶えています。その当時も私は塗装職人でした。あれから、20年以上経ちますが、私も人生を貫く仕事にたどりつくことができた と胸を張って言えることができる男になりました。

オレのヒストリーはここからまた始まる・・・。二〇一六年 佐々木孝二 四十五歳























矢沢